【1/30重要な追記あり】【23'冬アニメ座談会】「百合」アニメの境界線に関する一考察 -『お兄ちゃんはおしまい!』は百合か論争(TS論争)を題材にして-

 

【レニ】  今回の論争ってTS百合に懐疑的なのが月海(Tsukiumi)さん、TS百合肯定派が白雪さん(Shirayuki)さん、なんですよね。

【白雪】これがほんとのTS論争……。

『お兄ちゃんはおしまい!』アニメキービジュアルより

 

 

(書いた人:猿渡白雪)

 

 

【1/30追記】

記事公開後、様々な反応をいただきました。当記事の論旨、および当記事の発言におけるジェンダーセクシュアリティ観の2点につきまして、補足と謝罪をいたします。

 

第一に、本記事の論旨は「はじめに」に記載したように、「人が『百合である』と認識する/しない境界線」について、『お兄ちゃんはおしまい!』という作品の異なる読解を対象として、白雪が考察を試みた、というものです。決して、「当該作品は文字通りの意味で、「女性同士の関係性」を描く、『百合』作品である」「『TS』ジャンルは『百合』ジャンルに含まれるべきである」等の主張を行うものではなく、またサークルとしてそのような主張を行っている意図もありませんでした。

「おにまいは百合である」派として登場する白雪自身の立場としても、ブログ後半で「素直に見たら「おにまい」は百合ではないと思っている」と語っているように、「文字通りに読解したら『百合』ではないものを、想像力を働かせることで、あえて異なる読解を行って読み替えることができるのではないか」というものであり、先述のような主張を行う意図はありませんでした。

しかし本記事では、これらの前提が、ブログ執筆時に自明のものとしていたが故に抜け落ちており、加えて「論争」というセンセーショナルな言葉を使うことによって、結果的に「百合」ジャンル全体の話として、対立を煽るような形となってしまっておりました。ここに謝罪申しあげます。

 

第二に、本記事における会員のジェンダーセクシュアリティに関する発言につきまして、様々なご指摘を頂きました。当該の白雪の発言では、「男性」「男性性」と言う言葉を、性別を表す一般的な用法ではなく、白雪個人が百合の主人公として認識できない「属性」として、作品読解のために恣意的に用いておりました。その結果、「性自認」に関する的を外れた発言や、「社会的に望ましいとされる男性性を有していなければ男性ではない/女性である」ともとれる論理の飛躍した発言などが記載されておりました。

しかし、こうしたジェンダーセクシュアリティ観は明らかに誤謬であり、不適切なものです。このようなジェンダーセクシュアリティについての表現が用いられたこと、およびその場の誰からも指摘がなかったことに関しまして、深く反省しております。改めて謝罪申し上げます。

 

白雪・O.obscura・月海・レニ

 

(*1.でグダグダ書いてますが、要は「おにまい! 」は百合かどうか論争をブログ記事にしたものです。軽い気持ちで楽しんでいただければ執筆者冥利に尽きます。能書きを飛ばしたい人は↑の「2. 分析の材料」をポチっとしてやってください。) 

【1/30 削除】

 

1. はじめ

はじめに―本論考の意義と問題提起―

 ごきげんよう、京大百合文化研究会の白雪です。

 

 「人は何をもって百合と百合でないものを線引きしているのか」―――。

 

 百合オタクの間ではしばしば議論になる、百合オタク及び百合文化研究者にとっての永遠の問いの1つだと思います。百合の定義に絶対的なものなどなく、何か1つの定義を押し付けようとしたらいろいろなものが毀れてしまう、そんな危険性すら孕んだ問いと言えるでしょう。そのため、上村(2022)をはじめとする多くの百合文化研究ではこの点について必要以上につっこまない態度をとっているように思われますし、弊サークルの記念すべき会誌第1号『Liliology Vol.1』でも「百合の定義」「百合の境界線」についての明示的な対立を取り上げることは避ける方針で編集が進められました。そしてそれは多くの場合で正解でしょう。

 

 しかし、人によって定義が違う、その「違い」はどこから生じているのかについてははっきりしていません。そのことについて考察することで、より健全な「百合とは何か」という問いかけをすることができるのではないでしょうか。

 本論文では百合の定義の「違い」がどのような点から発生するのかという問いについて、『お兄ちゃんはおしまい! 』というアニメに関して百合文研内で行われた事例を用いて、迫っていきたいと思います。

 

 

 

 

2. 分析の材料__『お兄ちゃんはおしまい!』は百合か論争(TS論争)

 

参加者紹介

月海   【月海】:本日のメイン登壇者。京大令和きらら学研究所助教授。本年度後期は「ブルアカ学入門」を開講。ミカコハは……あります。

猿渡白雪 【白雪】:本日の進行役兼メイン登壇者。コードネーム"雪華"、咲狂う時間です。

O.obscura  【オブ】:社会派百合、フィールド系百合、魚×百合を好む。「RPG不動産の世界観は旧ソ連の社会が下敷きになっている」との仮説を提唱。

レニ   【レニ】:Master of 百合(予定)

 

1st Round 百合派vs百合じゃない派の論点整理

 

〇「おにまい」は百合でない側の主張

【白雪】では早速、それぞれがなぜ『お兄ちゃんはおしまい! 』を百合アニメでないと、若しくは百合アニメだと考えてるのかについてお伺いしたいです。まず月海さんから。

【月海】はい。結論から言うと私は『お兄ちゃんはおしまい!』は百合アニメではないと考えています。その理由は、まひろ君自身もみはりちゃんも、どっちも「まひろ君が男性であることを所からスタートしていて、それで肉体が女性になって行く」というのが共通認識としてあるからです。それが顕著だったのが第2話のBパート。

【白雪】伝説の「女の子の日」回……!

【月海】はい。あのエピソードは女の子座りの話題から始まったんですけど、その時点で女性と男性の骨格の違い、そこで体と心のジェンダーギャップを感じるまひろ君が描かれてるんですよね。それをベースに兄と妹の関係を描くのが肝だった気がするのでその意味で百合じゃない、という判断になりましたね。

【白雪】まあ兄と妹というのと A パートで銭湯に行くシーンでも確かに昔はまひろ氏がお兄ちゃんが妹の髪を洗っていたなっていうところがあって、その時点で”きょうだい”を描くことにこだわってるというのは同意見だな。

【月海】あーそうですね。

【白雪】あと、心と身体が相関してるって言うのは1話やOPが特に顕著だけど、本作品で一番描きたいところなのかなとは思う。




〇「おにまい」は百合である側の主張

【白雪】仰ることはわかるんですよ、わかるんですよ、だけど『お兄ちゃんはおしまい!』は百合なんですよっていう話をしたいと思います。

 まず、何らかの意味で本作が TS ものだっていうのは認めざるをえません。でも、まひろ氏*1が転性する前が「本当に男だったのか」という問題提起を私はしたい。もし、まひろ氏の転性前の精神性が男ならば、ちょっと私も苦手とするTS百合となっちゃいます。でもまひろ氏の精神的なジェンダーは「男」ではなく寧ろ男女どちらにもカテゴライズされない「自宅警備員」と言うジェンダーだったのではないか、だとしたら男が(身体だけでも)女になった、と言うわけじゃないので百合として受け入れやすいんじゃないか、って話ですね。少なくとも私はそう受け取っています。

【月海】なるほど。

【白雪】そして、その根拠となったのが2話Bパート。女の子の日を体験する直前、まひろ氏は「男性性を取り戻す」ということで筋トレを始めるじゃないですか。でもそこで実際に描かれたのはニートとして「男性性」からかけ離れたヘタレ具合を露呈するまひろ氏だった。そこで、一話の時点から「まひろ氏に男性性ってあったのかな」って考えちゃったんですよね。

 確かにまひろ氏は美少女ゲーが好きで部屋のものも所謂男性オタクが好んで消費しそうなコンテンツが多いです。でも、いざ2話Aパートの銭湯シーンでは理性がかなり効いていて異性間ラブコメで今でもよく見られるような変態男性イメージのそれとはかけ離れている。加えて、そもそもアニメは転性薬を既に盛られて転性した後から話が始まっているのでまひろ氏が心身ともに「男」だった頃を視聴者は見ていないんですよね。なので本当にまひろ氏が転性前も精神的な性別として男だったのかとは言い切ることはできないと考えています。そうだとするとしたら転生する前でも男ではなかったのだから体も心も今女の子に近づいているという意味で百合と肯定的に捉えても良いのではないかなと思ってるんですよね

【月海】なるほどなるほど。そもそもの出発点が違ったと言うか。私が明らかにまひろ君の精神性が男性だと言うことから確定させていました。少なくても妹はまひろ君の事を「お兄ちゃん」と言ってくれていて、先ほど言及された通り肉体性の違和感は大きく描かれていたんです。けど精神性についての男性性描写は緩いところはあるかもと思いまして、なるほどとは思います。

【白雪】(肉体は)絶対的なものだからやっぱり描写しやすい所はあるかもだけど。



〇「お兄ちゃん」に含まれるジェンダー

【月海】でも本作は、「お兄ちゃんと妹」ないし「姉と妹」をひっくり返して描いていて、精神性自体もそれに対応させて男女でひっくり返して描いているのでは、と私は思いますね。

【白雪】転性する前がすでに「兄と妹」という構図は成り立たなくなっている可能性があっるんじゃないかと思うんだよね。お兄ちゃんと言うとやっぱり妹を守るだとかリードするだとか、そういう「お兄ちゃん」と言う言葉に内包されるジェンダー性があると思ってて。でも、それがまひろ氏とみはりちゃんの間では成り立ってなくて、むしろみはりちゃんがまひろ氏のお世話をしてるし。お兄ちゃんとしての立場を失って妹に対する劣等感を抱いてるっていうところが一話の終盤の方で描かれたかなという気がするんですけど、それもこの仮説の根拠になってます。

【月海】なるほどね

【白雪】2話では昔は確かにまひろ氏はお兄ちゃんとして 面倒見てたりお風呂入れてたりとかっていうところから、より明確に、成長するにつれて「自分の方が年上なのかっていうところに疑問を抱くようになってきた」「お兄ちゃんと言う男性性ジェンダー性をまひろ氏が殆ど失った」ことを描いているんだと読み解いています。

【月海】どっちかっていうと男性性自体がこの作品自体に影響を及ぼしてないと思います。作者としては少なくともそこまで意図してないと思う。その結果、アニメ1話2話時点では精神的な男性性描写が殆どなくなっているように見える、という見方の方が正しい気がします。

 

〇「おにまい」が百合になる可能性

【白雪】百合の定義が月海君と私で違うからの見解の相違なのかなぁ。私の百合の定義っていうのが「カップリングの双方の精神性が女性」ないし「男性性が含まれていない」だから。そして、「おにまい」を見た時にこのカップル(まひろ-みはり)の中に男性性がないじゃん→「おにまい」は百合じゃん! ってなったんだ。

【月海】白雪さんは非常に俯瞰してた立場から作品を見てるんだと思います。私も殆ど同じなんですが、どっちかっていうか内面関係性の方を気にしていて。まひろ君-みはりちゃんの間で二人の関係性認識としてこの人(まひろ君)は元々男だって確立されている以上、その二人の関係性の間で百合は成り立たないというのは崩すことができない。

【白雪】なるほど。

【月海】ただ、今後の展開で、まひろちゃんを元々女の子だと思っているキャラと出会い、まひろちゃん自身もある程度自分の男性性について気にしなくなっている状態であれば百合として成立するのでは、と思います。

【白雪】男と女を分けるマジョリティ的なジェンダー観を持ってる人だと月海君の整理は飲み込みやすい気がする。そこから辺からしても私がちょっと特殊だから「今は百合アニメじゃないけど……」という考えは若干迂遠な気がしちゃうな。私の持論としては性別なんて男と女二つに分けられるわけないだろっていうところが柱としてあって。

 

〇比較対象としての『龍と虎』

【月海】ダブルスタンダードって言われるかもしれないんですけど……戦国武将に転生した女子校生達が織り成す『龍と虎』って漫画作品があって。あれは全員が戦国武将から転生してるっていうのが自分でわかっていてその相手方の武将とくっつくっていう話なんですが、それは自分の中では百合判定してるんですよね。

龍と虎に関しては戦国武将戦国武将で相手方が特別な相手だから惹かれ合うって言うのが構図としてある訳で両者は転生しても惹かれあういうのがあると思っていて。TS なんですけど 存在が重要であって性に関して重要ではないから大丈夫だと思うんですよね。

 

 

【白雪】今も話を聞いて、説得できる糸口が見えてきたぞ。まひろ氏もみはりちゃんも「お兄ちゃん」とか「自分のことを男」だとは思ってるけれど、それはあくまで便宜的にそう呼んでるだけ。そこには年齢的な上下関係はあっても真の意味でのジェンダーは2人の間では関係がなくて。そう考えると『龍と虎』と同じように性は関係ないと言える……のではないでしょうか!

【月海】確かに。でもなー 、あの作品はやっぱりめちゃくちゃ TS を書こうと思って書いてるのが強い作品だと伝わってくるので。だとすると2人の関係性についてもジェンダーを捨象したとは捉えにくいかなぁ。

 

 

2nd Round 原作勢サードオピニオンを交えた議論__「おにまい」の主題とは何か

〇1st Roundの整理

(そして第三の登壇者の登場)

【オブ】まず百合の定義に関しては「女性の関係性を主題としたのが百合である」点に関して二人の共通認識にはなっていると。

【白雪】すごく綺麗にこれまでの議論の交通整理をしてくださった……!

【オブ】そして月海さん的には「おにまい」の主題は「きょうだい」であって、女の子の身体同士の百合の関係は描写としてはあるかもしれないけれど、それが主題じゃないから百合じゃないと思ってるって感じですか?

【月海】それに加えて、二人の共通認識としてまひろちゃんは元々肉体的にも、そして精神的にも元々男であるっていうところがある、って言うのがポイントですね。

【オブ】それで白雪さんがまひろお兄ちゃんは

【白雪】男じゃなかったんですよぉ!

【オブ】もともと男の子じゃなかったからまひろ氏と女の子同士の関係性百合じゃないかっていうのが白雪さんの意見なんですね。共通テスト英語リスニングの途中で挟まる謎のまとめ役みたいなポジションに私なってますね(笑い)。

 

〇「おにまい」はお兄ちゃんの変化の物語

【オブ】なるほどいやなんか言ってること両者ともにそれっぽくて、甲乙つけ難いと言うか。この作品の主題ってなんなんでしょうね。個人的には衝撃的なシーンが目立つこともあって「お兄ちゃんが女の子になっていく」変化の物語だと考えていて。それこそ2話ではじめて女の子の日を迎えたまひろちゃんにみはりちゃんがお赤飯持って来たくだりとか。

【月海】確かに。

【オブ】(女の子になる前から女の子だったのかは置いておくとしても)、「変化」と言うことは少なくとも描かれている作品だと思います。原作の最新刊付近だと、まひろちゃんは違和感なく女の子になってるんですよね。今アニメで描かれている時点とは明らかに精神的に変化がある。だから、(本作が百合かどうかは)いつの時点を念頭に置いて話してるのかによって全然変わってくると思います。原作最新刊まで見てる人の間ではさらに「おにまいは百合か」論争は泥沼化してますし。

 例えるならわたモテと近いことが言えると考えていて。あの作品、当初は「主人公がモテない」という主人公1人のことを、ネットスラングみたいなのも交えながら面白おかしく描いているっていう作品だったんですよね。それが刊を重ねていくにつれてつれて百合密度がどんどん増していった、っていう。「おにまい」にも同じことが言えて、当初はまひろちゃんが男を意識している描写が多いけれども回を重ねていくにつれて……って所があるんです。

 

 

【白雪】最新刊のあたりになるとまひろちゃんの性自認が女性に大分寄っている状況っていうことですよね。男性部分が顧みられなくなってるとまでは言えないと思いますが。

【オブ】それにしても懐かしいなー。この作品って2018年から始まってて、受験勉強の合間に更新を楽しみにしてたんですよね。

【白雪】O.obscuraさんの百合は「おにまい」から!?

【オブ】いや、私はどちらかというと「おにまい」が百合として見れるという話を興味深く聞いていた側なので。

 

【白雪】 確認になるんですけど、O.obscura君としては「おにまい」の、アニメ1・2話の時点でも「きょうだいの関係性」は主題じゃないと捉えてるってことでいいんですか?

【オブ】難しいところですね……。印象に残るのがどうしても(転性を意識させる)シーンっていうだけで関係性を主題にしてないって言い切るのは言い過ぎな気がします。原作者の意図としてもそれを主題とするのが妥当なのかな。例えばアニメ2話の時点では結構(まひろ君のみはりちゃんに対する)コンプレックスとかが描かれてるんですよね。

【白雪】そこなんですよね! そしてみはりの方もダメダメになってしまった兄を更生させたいという感情の矢印があると思っていて。こういう、妹から兄に対する何かジェンダーを越えた「きょうだい」を慮る矢印があって、まひろに関してはまひろ氏の方でコンプレックスがある。両方が同じベクトルの感情を抱いてるわけではないんですけれどその間には間違いなく何らかの矢印が発生している。そういう意味で「きょうだい」の関係性が主題なのかな、と。

【月海】関係性っていう意味では今後、他のヒロインとの関係性も……。

【オブ】実際、今後出てくるとあるヒロインとまひろちゃんはカプになりますね。

【白雪】それってみはりちゃんの出番減らない!? 悲しいなぁ。

 

 

3rd Round 百合文化研究者による口頭試問、そして……

【レニ】百合文化研究者的に気に気になるのは、百合のオタク達は「おにまい」を百合である、ないし百合でないと言うことによって何を達成しようとしてるのかなってことなんですよね。

【白雪】満を満たして百合文化研究者きたぁ!

【オブ】「百合」という概念 を考えた時に(百合かどうか)意見が分かれる、外縁にあたる作品を議論することによって「百合とは何か」「百合の可能性」を問い直すことになるのではないでしょうか。

【月海】問い直してます? 問い直してるんですかね……。

【白雪】私としてはあくまで百合愛好家として、ある作品を「百合」って認識できることでその作品を何倍にも楽しめることができる、だから「おにまい」も含めてなるべく作品を百合として捉えたいと思ってます。

【レニ】百合だとみなすことによって効用が増す、と。では月海君は?

【白雪】百合じゃないと言うことで「百合と言う名の聖域」を守ることが達成されるのかな? 

【月海】それもありますし、(問い直すことで)自分の百合の外縁を知ることで「自分が百合として許せる/許せないの境界」がどこにあるのかを知るのは面白いんですよ。

  TS ものの中でも『龍と虎』や「転天」を 百合と言ってるのに、なんで自分は「おにまい」を百合とカテゴライズしないのかって考えるのは実際楽しかったです。

【レニ】その結果傷ついてる人がいるかもしれないけれども……。

【白雪】結局はその考えをぶつけたりしない限り自分たちで勝手にやってくれと思っていて、「こうしたら楽しく見れるんじゃないですか」っていうセカンドオピニオンを提供しようとしてるだけなので。

【レニ】ちなみにセカンドオピニオンに対するファーストオピニオンは何を想定してるんですか。

 【白雪】「おにまいは百合じゃない」を想定してましたね。私の主張としては実はこうじゃないんですよ、って提示したいというか。

【レニ】 その実はじゃないものって何なんですか。

【白雪】「実は……」じゃない、(数秒思案)。それは正直に私が素直に見たら「おにまい」は百合じゃないって思ってて……ダメダメ、ここ纏まってないのでカットしてください!

【オブ】まとまってないところを寄せることで Twitter の誰かが補完してくれると言う。

【白雪】それ補完という名の炎上してないですか?

【月海】怖い怖い怖い怖い。

【レニ】間違ったこと書いてなければ、我々は間違っててないですからね。

 

【白雪】閑話休題、ということで。

【レニ】さっきの話をちょっと真顔で言い直すと、「おにまい」が(百合であるかどうか)賛否分かれる作品だということは間違いないので潜在的には百合でないということは認めているということでよろしいですか?

【白雪】……はい。

【レニ】ちなみに月海君は「こういう見方をしたら実は百合なんじゃね?」って言う見方はあったりするの?

【月海】白雪さんの話を聞いて、そういう思考でこの作品をやりって捉えてもいいと思いますね。その立場を今後私がとるかどうかは置いとくとして、白雪さんの言った話も、理論自体は理にかなっていると思います。そういう見方もあるんだなっていう感じかなと思いますね。まあ私の見方は変わらないんですが。

【オブ】これが対話による歩み寄りです!

マルタ会談におけるブッシュ大統領(米)とゴルバチョフ総書記(ソ)の写真。

 

【白雪】「ただ女の子(の姿をしてる2人)がイチャイチャしてるように見えるから百合だよ」って言ってるわけじゃないっていうことが伝われば私の役割を終えたかな。

【レニ】ただイチャイチャしてるだけで百合と見られたら困るんですか? 

【白雪】私、博士課程進学の口頭試問でも受けてるんですかね

【レニ】気になります、博論で引用するかもしれないので。

【白雪】ご回答すると、私の百合の定義まで戻る必要があって。私自身、百合と言うものを精神的な女性性・もっというと精神的に男性でないところに求めていて。だとすると、肉体面にから百合と言うのは、少なくとも私の考えとは相容れないとなってしまうのですよ。

【レニ】ちなみに女の子がただイチャイチャしてるで百合だと主張する仮想敵はいたりするんですか?

【白雪】……いわゆるきらら派閥?

【月海】きらら学非常勤講師として、きららほぼ全ての作品が少なくとも男女関係が入ってない作品は基本的には百合とみなしていいと考えていますね。

【オブ】(白雪と月海が)凹凸みたいな感じではまってますね。

【月海】きらら作品は内的な男性性/女性性を描いていない、だから基本的には心と体のジェンダーが一致しているんですよね。女の子しか出てこなければ百合になると思うんです。それに対して、「おにまい」については精神性が男から始まっているところが揺るがない事実としてあって、兄と妹と男と女との関係性が発端として始まっているから百合だとは思えなかった。

【白雪】私と月海君の間で2つの言葉に定義の違いがあって。まず「百合」と言う言葉に、私は精神性しか求めないけれど月海君はどちらかと言うと総合評価。

【月海】総合評価......

【白雪】 そして、「男女の概念」について、私は男女に分けられない境界を非常に緩く取るのに対し、月海君の方がマジョリティー的なジェンダー観で、そこで(おにまいに関する解釈の)違いが生じたのかなっていうのは持ってますね。

【オブ】それ面白いですね。分岐分類学者と進化分類学者の並行する会話を聞いてるような感じですね、違う種概念を適用する人同士の会話、みたいな。

【レニ】O.obscuraさん的には? 白雪さんの話を聞いてどう思いました?

【オブ】私の百合の定義みたいなのは結構日によって変動するみたいな感じなんですけど、言葉で表せって言われたら女性と女性の関係性を主題に置く作品だと思います。なので百合要素がある≠百合作品で、「おにまい」もそういう作品なんです。少なくとも注釈無しで「百合作品」とは言えないかな。

 

 

Final Round 議論のまとめに代えて

【白雪】原作から知っている人として、今回のアニメ化は理想的だったかどうかとか、アニメ化する前に予想していてその通りになったこととかありますか?

【オブ】アニメ化に際して一つだけ、「この作品は百合ファン及び百合文化研究者の間で百合かどうか大論争になる」って予想してたんですけど、それはまんまと的中しましたね。

【月海】それは間違いない。ソースはこの討議。

【オブ】だから、この討論の様子を世に出す意義は私としてはあると思いますね。ジャンルの境界近辺にある作品についてきちんと討論する事で開かれたジャンルとして見られるのではないかと思います。

 

〇「おにまい」の「きょうだい」要素

【オブ】「おにまい」って百合要素があることは前提とするとして、それ以外にどんな要素で構成されている作品なんでしょうね。

【白雪】「きょうだい」要素……? 『干物妹! うまるちゃん』に近い波動をこの作品から私は感じてる。

 

 

【月海】物語としてもそうですけど、同時に確かに自分が兄ないし妹の人はまひろ氏のコンプレックスとかを重ね合わせて見ると言う側面はありそうですよね。

【白雪】確かに私も兄がいるから、兄が自分のことどう思ってるんだろう、って思いながらまひろ氏のコンプレックスのシーンは見てたわ。まあそんなの本人に聞けるわけないんだけど。

【オブ】特殊事情が介在しない限り、きょうだいっていうのは一定の時期まで文字通り同じ屋根の下で暮らして、同じものを食べて成長してきたわけで、気にせざるを得ない存在ですよね。

 

〇「おにまい」のTS要素の解像度

【オブ】あと、先ほども言及しましたけれどTS要素はやっぱり大きい。TS描写の解像度が高いからこそ、男性視聴者はまひろ君に自分を重ね合わせで見ることができるのかなと思ってますね。むしろ私はここら辺の要素が(アニメ1話2話の時点では)大きいと思ってます。

 まあ、話を重ねるにつれてまひろ君がだんだん女の子っぽくなってくるので、そういう意味で「これはもしかしたら百合として認めざるを得ないと思う日が来るのではないか」と受験生の時に読みながら思ってましたね。

【白雪】まひろ氏の変化については声優さんの演技が1話と12話でまひろちゃん、ないしまひろ君の声がどんな感じに変わるのかっていう所を通しで注目して見るのも面白いかもしれませんね。

【オブ】 今期TSものは多いですけど、まひろ君のあのキャラだからこそ、TSの解像度が圧倒的に高いからこそ、その要素として今期の中でも秀でた作品になるのは間違いないと思います。

 

〇仮説:「おにまい」はオルタナティブきららである!

【白雪】あと、まひろ氏の更生物語、っていう要素もあるのかな。そういう意味で、百合要素さえ認めてくれれば月海君の提唱するオルタナきららになるポテンシャルがあるんじゃないかなと思う。

 

 

【オブ】オルタナきららとは……?

【月海】私が提唱している概念ですね。私は最近のきららの本質を「作中で主に日常を描きつつ年月の経過と共に自己実現や成長が描かれている」ところだと考えています。その良い例としては『またぞろ。』や『星屑テレパス』などでしょうか。古株の作品の中でも「ごちうさ」などはこの特性が顕著に現れていると思います。

【オブ】ほうほう。

【月海】そして、考えてみるときらら作品以外にもそういう、本質的にきららに通じる作品があるんじゃないかっていうのが自論でして。例えば『Do it Yourself!! -どぅー・いっと・よあせるふ-』とか、「学園と青春の物語」である『ブルーアーカイブ』とか。そういう作品をオルタナきららと呼んでるんです。

【オブ】月海さん的に「おにまい」はその定義に入るんですか?

【月海】オルタナきららの定義に百合かどうかは入れてないので、オルタナきららとして「おにまい」を位置づけるのは全然いけると思いますね。「日常の中で肉体性の違いを通じて徐々に兄妹間の関係性や自己について見直していく」という構造の時点で十分”自己実現を描く”って要件を満たしているので。 

【オブ】ではそろそろいい時間なのでまとめに入りますか。

【白雪】結論はみはりちゃんが可愛いということで。

【月海】結論それでいいんですか?

【オブ】①女性同士というところの定義をどこに置くかによって、あるいは②「おにまい」が関係性を主題に置いてるかどうかによって、「おにまい」が百合かどうか人によって違いが出ることが今回の討論で明らかになったのではないかと思います。

 百合かどうかという極めて普遍的な問いに対して示唆を与えるような時間になったかと。少なくとも不毛な議論ではなく意義のあるお話だったと思いますね。

【白雪】皆さんありがとうございました!

 

 

Extra Round 「転天」と「おにまい」は本質的に同じ?

【白雪】今期の百合アニメ『転生王女と天才令嬢の魔法革命』も、転生した主人公のアニスの転生前の性別がわかってなくて、百合オタクの一部からアニスは転生前の男性でTS百合だから百合じゃないんじゃないか、って話があるんです。

【月海】作者さんが Twitter でマシュマロかで聞いた際に一連の騒動にはなっているんですよね。作者的には(アニスの転生前は)男女どちらか考えてないし、そこが重要じゃないっていう話はしてますね 。「キャラクターに転生前の記憶と想いを思い出させること」自体に意義があり、だからこそアニスのキャラクター性が生まれたっていうきっかけが重要で、ジェンダーは関係ないっていう話なんですよね

【白雪】でも、この話についても「おにまい」に関する私のここまでの論理から言えばすっきりと百合アニメとして見られる、っていう話をしたいですね。

 

 

〇アニスは転生前に本当にジェンダー分化していたのか

【白雪】これから話す私の仮説は恐らく作者の見解と矛盾してないと考えてるんですが、大前提として私は、転生前のアニスは性的にはっきりとは分化してなかったんじゃないかと捉えています。もっと言うとアニスは転生前を(ジェンダー的に明確に分化する前の)子供の時しか過ごしてない可能性があると思ってます。すると、転性直前に「男」でなかったまひろ氏が転性したから百合作品だ、という「おにまい」に近いことが言えると思えませんか? 

【月海】また独特な発想ですね。根拠とかあるんですか?

【白雪】まずは1話のアニスが転生前の記憶を取り戻したシーン。そこでアニスはまず第一に、「魔法があるんだったら空を飛べるよね」って言うんです。そこでまず私は引っかかったんです。 OL とかだったらもうちょっと違うこと言いそうで、いい意味で子供らしい、夢のある発想だなぁ、って。そして空を飛ぶということ自体はジェンダー中立的だ、という所もこの仮説のポイントです。子供っていうのは(大人に比べて)ジェンダーに未分化的な側面があると言えるのではないでしょうか。だから、アニスは「女性でも男性でもない存在から転生した」→百合として受け取りやすい、と言えると思うんです。

 

〇転生前のジェンダーが描かれていないことによる効果

【月海】それについては異議を申し立てたいですね。本作では転生前のジェンダー性を一切問題にしていなくて、転生前のジェンダーがどうであれ、少なくとも私達に提示されているアニスの肉体性と精神性が女性として描かれている、という事実だけがあるっていう解釈の方が正しいと思います。

【白雪】月海君の今の話と私の仮説は矛盾はしないんじゃないかな。そもそもジェンダーとして分化してないと想像することによって転生前のジェンダー性を問題にしなくてよくしたい、っていうのが私の仮説だから。そして、転生前のジェンダー観がない状態からスタートしてるから、アニスフィアという王女として、あの年齢からの成長がスタート出来たのだという所まで含めて私は考えています。そう考えると、「転生前にジェンダーが未分化だった」というのがもしいえるなら、アイテムとしてうまく機能してますよね。

【月海】ジェンダー的に分化しているか否かはさておいて。転生前のジェンダー性がアニスのアイデンティティに対して強烈な影響を与えたという描写は存在していないので、確かにあり得る仮説かもしれませんね。

【白雪】ただ、「おにまい」と「転天」を比較すると前者が2話Aパートの銭湯の回想シーンとかで明らかに「お兄ちゃん」というジェンダー性を持っていた時期があったことが描写されているのに対し、「転天」では何度か指摘された通り明らかにアニスが男性だった時代の描写はない。だから、「転天」は「おにまい」以上に百合として受け入れやすいのではないかという印象はありますね、転生前のジェンダー如何に限らず。

【月海】転生前のジェンダーを積極的に予想するかどうかは置いておくとして、結論としては白雪さんと私は同じなのかなと思いますね。その人のキャラクターや人格を形成するにあたって転生前のジェンダー観っていうのは些事であると捉えている点、少なくとも人格に追随する内的な性に影響するものではないからそれ以外で描写されているところから素直に受け取っていいんじゃないかなって考えてます。

 

 

 

 

3. 考察と結論

 以上、『お兄ちゃんはおしまい! 』は百合かどうかに関する議論の過程でした。一見とりとめのない議論のようでいて、よく見てみると「なぜ人によって百合の定義に違いが生じるのか」という問いについて3つの視座を与えてくれる議論になったのではないかと思います。

 

 まず1つ目は「ジェンダー観」の違いによるもの。百合とは女の子複数人の関係である、という定義は一見、万人に受け入れてもらいやすいですが、そこでいう女の子とはどこまでを差しているのか、ジェンダーについて非常にセンシティブな人ではそもそもの百合アクターにどこまでが入るのかが変わってくる、と言う可能性がこの議論では示されました。

 2つ目は百合の本質に「関係性」をどこまで読み込んで判断に組み入れるか、というもの。一口に関係性といっても、ただ「きょうだい」関係が描かれていればそれでいいのか。「関係性」を成立させている2人ないし2人以上のアクターが互いのことを(性別としてどう見ているのかを含め)どう感じているかについてどこまで読み込み、それを百合の定義に反映させるのか。それによって今回のTS論争では大きく結論に差が出ました。

 そして3つ目は作品の主題をなんだと受け取るのか。そもそも作品の主題を「関係性」ととるのかどうかによって結論に大きな差が生じました。

 

 ここで挙げられた3つの百合かどうかの判断が分かれる視座だけによって全ての百合か百合でないか論争における意見の違いを説明できるとは思いません。しかし、ここに挙げた3点は確かに「百合か百合でないか」の意見の違いの背景にあったもの、それが少しでもはっきりとさせられたのなら、この稿は何らかの役に立てたのではないかな、と思います。

 この記事を読んだことで読者の一人でも『お兄ちゃんはおしまい! 』の新しい楽しみ方を見つけたり、もっと広く、「百合」に向き合う姿勢に何らかの涵養が得られたのだとしたら幸いです。

 

 

おまけ__場外乱闘(不参加者のコメント)

無理数】途中で話題に上がった『龍と虎』は女子高生が武将の記憶を持っているという設定で単純な転生ではなかった気がする(未読)。この辺の話題は『幼女戦記』のタニャヴィシャは百合か?とか『清楚なフリをしてますが』は百合か?とかと並べて話してみたい。記事にしたら炎上しそうだから身内で済ませたいけど。閑話休題、「おにまい」含めこういったファンタジー的要素が絡む百合及び周辺作品の百合性に関してはそのファンタジー部分の作中での定義やそれに対する読者各人の作品鑑賞やジェンダー観に対するスタンスに依存するところが非常に大きく、また特定作品のみでの特殊事情が発生しやすいがゆえに、一定の合意が形成されないままで何時まで経っても議論が終わることは無いんだろうなあと思う。逆に、このことを理解しないまま雑に自分の中の定義だけで武装して放言してる奴ばっかだとオタクたちは不毛な学級会を永遠に続けることになるから、よいこの読者のみんなは気をつけてくれよな!

 

【だち】自分は原作未視聴・未読ですので個人的なTS観を投げつけるだけにしておきます。まずTSは性別が変化した自分の性自認を問い直す、その過程が重要だと考えていて、TSものを「男か女か」の話に収めようとすることがあまり好ましくないと思っています。TSが起こっている人物の性別については男でも女でもない、「性別:TS」とでも呼ぶのが自分の見解で、これを百合に含めるのは現在の自分の百合観ではどうやってもできそうにありません。百合観と絡めた話までここに書くと長くなりすぎるので、とりあえず上に挙げた「性別:TS」という概念を(まだ固まった定義というのは全くありませんが)ひとつ提唱してこのコメントは締めといたします。

*1:まひろ君ないしまひろちゃんと呼ぶのが正しいのかが曖昧になるため、以下白雪はこのように呼称。