5月某日、百合文化研究会はゼロ年代研究会と合同で、『魔法少女まどかマギカ』の鑑賞会を行いました。
その時に、「まどマギ」の感想を語り合う座談会も行いました。その様子を、何回かに分けてお送りしたいと思います。初回となる今回は、アニメ10話、まどかとほむらの「心中」ともとれるような絆の表現を手掛かりに、アニメにおける二人の関係性を、ゼロから百まで語りつくします!
登場人物
レニ【レニ】:百合文研の立ち上げ人。百合がなんもわからんになっている。
ちろきしん【ちろ】:テン年代に裏切られ続けた絶望から魔女になり、ゼロ研という結界を作った。
146B【いし】:百合文研の一番槍。漫画評論サークル会長の弁舌やいかに。
だち【だち】:百合文研の参謀。百合漫画だいたい持ってるマン。
すず湯【すず】:百合文研にして座談会の紅一点。「まどマギ」のカバンで参戦。
ゆぅら【ゆう】:ゼロ研からの刺客。哲学とセカイ系に領域展開。
やまぴ【やま】:ゼロ研からの刺客。ゼロ年代の魔女の使い魔。
【レニ】今日は来ていただいてありがとうございました。百合文研のレニと申します。教育学研究科の修士1回生です。百合作品に対する興味があって、百合文研という会を立ち上げ、そこで勉強させてもらっている身です。「まどマギ」は話には聞いていたのですが見たことはなかったので、ぜひ見ておきたい作品でした。よろしくお願いします。
【ちろ】ゼロ年代研究会のちろきしんと言います。文学部の4回です。今まで僕が生きてきた時代はテン年代だっていう認識があるんですけど、テン年代のアキバ系サブカルチャーに全然馴染めなくて、ずっとゼロ年代のオタクをやってきた人です。どうして自分はゼロ年代が好きなのか、どうしてテン年代に馴染めなかったのか、ゼロ年代とテン年代の違いが僕の中の強い問題意識としてあります。「まどマギ」はちょうどゼロ年代とテン年代の境目だろうという作品なんですけど、中学生くらいの記憶でしか覚えてなくて、見返してもう一回解釈し直さないといけないという気持ちがあって参加しました。お願いします。
【だち】理学部4回のだちです。百合文研として来ました。「まどマギ」については有名な作品で見たいと思ってたんですけど、性格的に一歩踏み出すのが面倒くさくなってしまって、こういう機会があるから乗ったという感じです。漫画版を5年くらい前に読んで、大まかなストーリーだけわかってるという感じです。作品自体に触れたのは5年ぶり、アニメに触れたのも初めてです。
【いし】理学部2回生の146Bです。所属は百合文研です。よく「百合姫」作品を読んでます。「まどマギ」は多分4、5年前、大晦日の一挙放送で見ました。おぼろげな設定しか覚えていなかったので、今回はすごく面白く感じました。参加した理由とすれば、百合文研の企画には大体参加しようと思っていたからです。
【やま】教育学部2回のやまぴです。一応所属はゼロ年代研究会になると思うんですけど、あまりゼロ年代について分かってなくて、知りたいと思って入りました。「まどマギ」は中2の時に借りて見たんですけど、とにかく凄かったってことだけ覚えてて、そこから他のアニメを色々見たという思い出深い作品です。今回見直してみて、いろんな人の話を聞きたいなと、百合文研の人たちの話も興味があったので参加しました。お願いします。
【すず】総人1回のすず湯です。「まどマギ」を最初に見たのは小5の時、兄弟が映画版を借りてたのをたまたま見て、すごいショックを受けてしまって、頭から離れなくて。中1ぐらいの時に自分で全部見てめっちゃ好きになってしまったっていう感じです。今回参加したのは、劇場版の続編も決まったことだし、もう一度見て自分の考えを整理したいなと思って来ました。
【ゆう】ゼロ年代研究会所属のゆぅらです。あの「まどマギ」本編は数えるのを諦めるほど見ました。一挙放送とかやるために見たりとかして。「叛逆」は3回ぐらいしか見てないからあんまり……。
【レニ】3回も見てるのか……。十分すぎるのでは?
アニメ10話における「心中」と、ゼロ年代と、百合
【ゆう】で、次への橋渡し的に話を続けると、心中の表現が面白いなと思った。ていうのは、10話でまどほむが死ぬとき、ほむほむがまどかに「一緒に世界を壊そうよ」って言うんですよね。あれがゼロ年代研究会的に言うと『天気の子』的というか、セカイ系的というか、内的自閉的世界の愛によって世界を壊してくスタイルが現れている。ほむほむは「この世界は苦しみに満ちていてどうしようもない世界だ」っていう風に言うんですけど、それは山内志朗のいう、セカイ系におけるグノーシス的感覚、世界は悪に満ちているっていう感覚。でも「まどマギ」では、それがまどかによって否定されるんですよね。想い人であるまどかは、どうしようもない世界なんだけど守ろうとした。ここにセカイ系的なもの、グノーシス的なものの乗り越えが見られるなと。旧約聖書において神は、世界はよさみであるみたいなことを言ったけど、この世界が悪に満ちているというゼロ年代的な価値観がほむほむだとしたら、それを乗り越えるものとしてのまどかがある。ほむほむにとっては世界はどうでもいいんだけど、まどかがこの世界は守りたいって言ったから守る。そういう乗り越えがあるなあって思いました。ゼロ年代的な構想力が拒否されている。
【レニ】あ、じゃあ心中の話からまとめておきますか。心中座談会。
【ちろ】ちょうど話題に出たしね。
【レニ】僕は世界を壊して欲しかったですけどね。
【やま】壊して欲しいっていうのがやっぱりゼロ年代的な感じというか、それこそ『天気の子』みたいな感じですよね。でも結局アニメの結末でまどかは世界の一部になる。世界とまどかが直接繋がってるから、逆のことをやってるけどセカイ系的じゃないんですか?
【ちろ】ゼロ年代が個人と世界が繋がって、テン年代が個人と社会が繋がってるという見方は、雑だけど、いろんな作品を説明できるフレームだと僕は思ってる。だからやまぴくんが世界と繋がってるのがゼロ年代ぽいっていうのは正しい視点なんじゃないか。
【ゆう】いや、僕は逆に、まどかは世界をと繋がることをある種諦めたと思ってるんです。いや繋がってるんだけどね。虚淵さんはまどかを「外部」として描いてると思うんですよ。人間的なものではないものとして、すべてのシステムの外にあるからこそ、もはやシステムから排除されているんですね。だけどほむらがそれを信じているという構造で、我々もほむほむの立場に立って見ている。ゼロ年代的な構想力だったら、直接我々がまどかになると思う。だからやっぱりちょっと違うな。
【やま】「まどマギ」の結論がゼロ年代じゃないっていうのはそうだなと思うんだけど、そこに至るまでのプロセスがゼロ年代的なものを経てから乗り越えるんですね。まどかが世界と関わってそこの一部になるというやり方はゼロ年代的なのに、その先にあるものはそこを乗り越えたっていう。
【ゆう】あとやっぱ、どうしようもない生の肯定というか、いかにしてこのクソったれた世界を守るかっていうところだと思った。今回見返して。
【いし】僕は10話の「世界を壊す」のところ、二人とも死ぬ運命になったから、死んだ後も一緒にいようよという意味で捉えた。あー百合だなって。
【ゆう】いいっすよね。
【いし】死んだ後も一緒にいようという感情、クソデカで良くない?
【やま】良い。
【レニ】心中は女同士の絆の伝統的なモチーフだと思うんですよ。それこそ戦前の女学校の世界から。女学校の世界は閉じられた空間で、当時の良妻賢母的な規範から唯一逃れられる場所だったんですけど、その世界を永遠のものにするために二人で死ぬということがしばしばあった。それのイズムは感じましたよね。
【いし】でも女学校の実践は二人だけの世界をそのまま保持するためであって、これとは違いますよね。
【レニ】そう。だから「世界を壊そう」というのがすごい良いんだよな。既存の文脈だったら心中って世界からの逃避だと思ってたんですけど、「まどマギ」では直接、世界に中指を立てる。
【ちろ】僕は世界の破壊と自殺ってほぼ同義に捉えられるんじゃないかって思ってて。例えば『Sence Off』っていうエロゲで、未来予知できるヒロインが、一週間後に世界が終わるって言うんです。でも実際はその予言は実現しなくて、その少女は予言の時刻に死んでしまう。少女から見れば自分の死は世界の崩壊に等しいんですね。世界を壊すっていうのは社会に対する反逆っていう意味でも、主観的に自殺してる側から見た視点っていう意味でも、やっぱり自殺と世界の破壊は密接につながってるんじゃないかと思いますね。
【レニ】内的な世界が主観的な観点からしたら外的な世界の破壊と同義であるというのはまあそうだと思うけど、この場合は違うのでは。
【ちろ】自殺って周りの人にダメージを与えるんで、世界を破壊してるんですよ。自分が欠けることによってダメージを負う人っているじゃないですか。まどかも命を投げうってほむらを助けに行こうとする時に、お母さんが「あなたの周りの人のことも考えてよ」みたいに言ってる。自殺するっていうのは自分の周りの人を攻撃するっていう意味もある。それはつまり社会への攻撃でもあるし、社会に対する一種の反逆なんですよね。だから心中というのはやっぱり二人で世界を壊しちゃおうかという発想と近いものだと思ってる。
【いし】心中というと、別の話で、杏子が魔女化したさやかに「ひとりぼっちは寂しいもんな」って言って心中するじゃないですか。あれには今の話は当てはまらないと思うんですけど。あれは周りを攻撃するものではなくてさやかをある種抱擁するようなものじゃないですか。あれはどう解釈してます?
【ちろ】ほむらとまどかの心中は、二人なら世界を破壊できるという発想だけど、でも杏子の場合は若干ずれてて、なんつうかな……解釈できてないな。
【ゆう】テクストベースで考えると、杏子はもしかしたら心中じゃなくて、むしろ自殺かもしれないですね。もちろん杏子側はとしては心中だけど、そこにさやかとの合意がないわけで、それはまどほむの心中議論とはちょっと位相が異なる感じがする。
【レニ】心中となるとそこに関係が生じるから議論はずれてくる。すず湯さん何か言いたそうですけど。
【すず】私が思ったのは、ほむらの解釈では世界を破壊するのが反逆っていう話なんですけど、世界を破壊しても社会には反逆できてないのかなと。インキュベーターは地球が滅んでもどうにもなるわけじゃないですか。システムはまたどっかの場所で変わることなく続いてく。それを変えることはできてない。
【やま】ほむらが心中しようとしたときは、まどかと一緒にいたいからっていう強い意志があったというよりは、折れかけていたというように見えたんですよね。心が本当に折れて、自分がそこで終わったからってインキュベーターの支配が終わる訳でもなくて、何も解決しないって分かってるけど、それでも踏みとどまれなくなって出ちゃった言葉だったと僕は捉えてるんですけど。
【ゆう】ほむらちゃんは絶対壊したかったと思うんだよな世界を。
【だち】自分は諦めというか、システムから逃れられないなら最後に好きなことをしよう、このクソみたいな世界の破壊を破壊してやろうという感情であって、それにまどかを道連れというか、逃避行に連れ出そうという意味もあったんだと思ってます。
【やま】逃避行っていいな~。
【ゆう】わかる。逃避行いいよな。
【ちろ】逃避行はゼロ年代。
【レニ】ゼロ年代なのか? 逃避行は百合では?
【やま】百合じゃないぞ。
【レニ】百合じゃない!?
【やま】逃避行がどっちのものかっていう争いが始まった。
【レニ】個人的には逃避行にすごい百合を感じるんですけど、ゼロ年代なのか……。
【ゆう】システムからの解放っていうのは確かに、女学校の永続、良妻賢母規範からの逃避と重なるところがあるよね。その筋でいくとレニさんとかどうですか。
【レニ】9話まではシステムとの関わりを新自由主義的な、個人の闘争と資本主義の総取りのイメージで見てたんですけど、10話以降を見るとやはりジェンダーの話だなと思いましたね。9話まではそこまで魔女システムとジェンダーの関わりが描かれてなかったですけど、10話以降に、女の子たちが希望を持って世界を変えようとして、でも結局魔女として社会に潰されてしまう、それをまどかが救済するみたいな話になって。完全に男性中心社会批判と女性の連帯の話じゃないですか。
【ちろ】絶望するさやかの前でホストの話出したところとかも、露骨にジェンダーの問題提起がされてますよね。
【レニ】あと結末で、魔女が消えて魔獣のいる世界になる。ジェンダー的なものが消えてるわけですよね。それはやはり、ジェンダーの抑圧からの解放がテーマなのかなって思ったんですけど。
【ちろ】ほむらが社会の歪みが魔獣を生み出すと説明してるけど、魔獣は社会の象徴なんだよね。
【ゆう】当時の2chの影響だと思うけど、魔獣おっさんだと思ってた。
【いし】魔獣、おっさんに見えますよね。男に見える。
【レニ】僕ははむしろ僧侶みたいな、無性別的な象徴として読みとったけど。
【だち】あれは顔も肌も見せてないのでどっちともとれる気はする。
【ゆう】確かに。
【いし】百合的なものとゼロ年代的なものの共通性が見出せるんですかね。
【レニ】システムに対して逃避してるのが百合なのかゼロ年代なのか。
【ゆう】百合的な感性を聞きたい。
【やま】百合を教えてくれよ!
【いし】僕は9話までは「まぁ百合かもな」程度だったけど、10話11話で完全に「百合じゃん」ってなりました。僕は叶わないようなものが大好きなんですけど、希望が無いものをずっと追い求めてるほむらの姿がすごい好きなんですよね。徹頭徹尾、結局まどかの願いを叶えるためじゃないですか。あと最終話でも、まどかのいる世界に行きたいという話があったりとかして。
【レニ】それは百合なんですか。
【いし】百合ですよね。だってずっと一緒にいたいというのは、恋愛の成就みたいなものじゃないですか。でもそういった感情は叶え難いわけですよ。そういったものを求めているのが僕は凄い好きで。叶え難いもの、まどかとずっと一緒にいたいっていう感情を追い求めて、10話以降は描かれてるし、だからいいなっていう。
【ちろ】146B君のいう百合性は、叶えられぬものを叶えようとするのが重要ってこと?
【いし】まあ、そうですね。百合っていうのは、女同士の恋愛っていうのは、今となっては間違った価値観かもしれないけど、禁断の恋愛って言われるじゃないですか。そういう価値観が昔はあったわけで。自分はできないかもしれないし、周りから何か言われるかもしれない、けど追い求めたいっていうのはあると思います。
【レニ】それはなんか、例えば女同士の友情物語とかとは違う何かなの?
【やま】僕が思ったのは、ほむらがまどかに出会って、割とすぐ好きになる、盲目的というか、他の友達とかもいるはずなのに最初からまどかにいくじゃないですか。まどかに行った理由も、最初に話しかけてもらったっていう。そこがやっぱり友情的なものでなくて、恋愛的なものを感じる。不合理じゃないですか、ちょっと話しかけてくらいでずっと時間を巻き戻して。仲良くした時間だったら家族とかも他の友達だってあるのに、とにかくまどか。絶対ほむらの感情にまどかへの恋愛っていうのが含まれてるなと言うのは感じました。
【いし】一目惚れしてるよね。いやー百合だなあ。
【ゆう】僕ね、暴論だったんだけどこの企画が立ち上がるまで、「ほむらちゃんはモテない男の子なんです」って主張してきたんです。ループものの主人公っていうのはまさに非合理な恋愛を求め続けちゃう男の子であることが多くて、そういう自己完結的な決して相手に振り向かれないようなモテない男の子の表象なんですっていうことを色んな所で言ってたんです。でも女の子なんですよね。そこが気になってる。
【いし】ほむらはモテない男じゃなくて、箱入り娘のようなものを感じる。ずっと病院で入院してるわけだから、世間知らないようなウブな女の子なわけで。それがまどかという女の子と出会って変わってく。
【やま】箱入り娘とオタクが一緒っていうことでもいいんじゃないの? 精神性は一緒っていうことだと思うんだよねそれは。
【すず】ほむらは最初のループは勉強も運動もできないっていう、ある種コンプレックスを抱えてるっていうのはありますし。最初の週でほむらって傍観者ですよね。最後の週のまどかと同じで。
【ゆう】そうなんですよね。自分は何もできないっていう、『いなりこんこん恋いろは』1話的な女の子が、できるようになる。そういう逆転が起こって、最終的にほむらが「まど化」する。ほむら自身が憧れの女の子になるっていう、そこに百合の鉱脈を感じるんですけど。
【レニ】百合の鉱脈……。
【だち】百合の重要なところに憧れのものになりたいという思いがあると思う。最初のほむらはまどかに守ってもらってて、守られる側から守る側になりたいって言ってるわけじゃないですか。だから自分自身がまどかに重なりたいという思いもあったんではないかと思うし。あと、最後に作り変えられた世界では、ほむらの武器はまどかが使ってた弓なんですよね。まどかの代わりにこれから世界を守っていくんだみたいなそういうのがあるのかなと。
【レニ】同一化の願望に百合を感じている?
【だち】はい。
【ちろ】同一化の願望は重要なテーマ。さやかと杏子の話にも言えるし。
【だち】それと、そのあたりに対してもう一つあって、ほむらは、出会って、やり直し始めてからずっと努力して、まどかを守る人になろうとしてたわけじゃないですか。でもそれが結局まどかの能力を増強する結果にもなっていた。努力してきた人が天才に抜かれてしまうパターンが入ってるんじゃないかっていうのを考えました。
【いし】憧れている人に追いつこうと思っていたけど憧れの人はもっと先に入ってしまった感じ?
【だち】そんな感じ。
【ちろ】やっとまどかを守れるようになったと思ったら、結局自分がまどかに守られてしまう。
【だち】今までと同じだったっていう。
【レニ】いやー百合ですね。
【ちろ】 お前らどこにでも百合咲かしてんじゃねえよ!