【劇ス座談会🍅】私たちももう舞台の上

【だち】……これもう始まってるんですか?

【レニ】既に録音してます。

【いし】私たちはもう座談会の上!?

 

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参加者紹介

レニ【レニ】:自分を神楽ひかりだと思い込む一般大学院生。

146B【いし】:漫画とエロゲを摂取して生きている。

だち【だち】:今日はマリア様はみていないぞ。

あるごん【ある】:『CUE!』学非常勤講師。

上村なびあ【なび】:神絵師。スタァライトジャンキー。

YoT【よっ】:幽霊だったが最近実体を取り戻しつつある。

 

 

感想

【レニ】鑑賞会お疲れ様でした。初めに、皆さんの感想を聞いていきますか。

【いし】では言い出しっぺから。

【レニ】見るのは2回目なんですけど、アニメって何やってもいいんだなっていうのは、やっぱり思いました。『ユリ熊嵐』の時も同じこと言ったと思うんですけど。キリンが突然野菜になって燃えたりね。レヴューも、舞台装置っていう言い訳で何でもかんでも出してくるけど、世界観が構築されているから面白く見れる。そういうことを改めて思いました。内容については後で話すと思うんで、次の人にパスします。

 

【ある】映画を見るのは1回目で、直前にアニメをざっと履修しました。「何やってもいい」っていうのは本当にそうですね。スプラッタというか、R18Gじゃないかっていうくらいの描写を入れてきたり。一番最初のトマトもそうですよね。血液の入った袋みたいなもので。

【レニ】あれ劇場で見た時ビックリしたんよな。

【いし】一気に観客の興味を引いてくるよな。

【ある】ずっと引き込まれっぱなしでした。具体的には、部屋の寒さを忘れたぐらいです。

【いし】極寒だったもんね……。

 

【なび】僕は「ロンド・ロンド・ロンド」からハマって、この劇場版もリアルタイムで、確か12回ぐらい見たんですけど……。

【レニ】12回!?

【なび】「スタァライト」って、自分自身を新しい自分に生まれ変わらせる「再生産」というテーマが最初から一貫してるんですけど、今回の劇場版は「私たちはもう舞台の上」というように、新しい自分からさらに未来に向けて新しい選択肢を皆で決めて行くとか、時には戦いながら自分の進路を考えていこうっていうテーマで、自分とも重なって感激しました。「将来に悩んでいる人がこれを見て、背中を押される内容であれば」ということを、監督がコメントされていたんですけど、自分の将来とか進路に悩んでる人が見た時に感銘を受けるような映画だなと、実体験としても思いました。

【レニ】なるほど……後で議題にしたいですね。では次の方。

 

【よっ】自分はサークルの鑑賞会でアニメを見て、今回映画を見ました。公開された6月から最近まで、Twitter でずっと話題になり続けていて気になってたんですけど、今回見てみて、リアルタイムで劇場で観れなかったのが悔しく感じます。あの音響とか演出とかを、画面いっぱいに浴びたかったなって。

【レニ】劇場で見た人は分かってくれると思うんですけど、すごく楽しかったですよね。

【なび】「“劇場”でしか味わえない{歌劇}体験」って宣伝されてましたよね。

【レニ】音響と光とでトランス的なものを感じさせに来てるなって思いました。

 

【だち】自分は初めて見たんですけど、内容に関してはよく分からなかったので、百合的に見ようと努めました。

【レニ】是非聞かせてください。この人たち百合的な話全然しないから。

【いし】お前じゃい!

【だち】それぞれ2人ずつカップリングできるように、レヴューが2人ごとに行われるというか、公式もちょっと百合を狙ってるのかなとか感じながら見ていました。主人公の2人も……。

【なび】かれひかーっ!!

【いし】突然どうした。

【なび】推しなので……。

【だち】あと、そうすると「負けヒロイン」枠になるまひるちゃんの立場も面白いなとか思って。

【なび】いやいや、まひるは負けヒロインじゃないんですよ!

【レニ】じゃあこれも後でバトってもらいましょうか。

 

【レニ】じゃ最後146Bくん

【いし】見るのは3回目なんですけど、最初見た時は「舞台少女というのは舞台に立つ運命なんだ」というテーマだと思ってたんだけど、改めて見ると、常に前を向いていて未来への意志に満ちている作品だと気づきました。ようやく自分の解釈が固まった気がして、それに沿って各場面に意味が見出せたので、やっと納得のいく視聴ができたなって感じです。

 

 

舞台少女の進路選択

【いし】さっき進路の話が出ましたけど、どういう風に後押しされるかとか、どういう展開によってそれを感じたかっていうのありますか?

【なび】一番刺さったのは、星見純那ですね。アニメ本編から堅実な人間として描かれているので、最初は大学進学という、舞台も学業も両立させたいという意志表示をするんですけど、それは舞台少女という観点からみたら、つまり大場ななからみたら、覚悟ができていない。演劇をやりたいという意思があるのなら、遠回りせずに、ストレートに挑戦していけっていうわけですよね。それが「狩りのレヴュー」で、大場ななの挑発に対して純那は正面から立ち向かう。ここで意志の変化があって、最終的にはニューヨークに留学するっていう思い切った選択ができた。そういったところが、自分の心に響くところがあったと思います。

【いし】印象的ですよね。ずっと偉人の言葉を借りてたのが、「他人の言葉じゃダメなんだ、自分の言葉でないといけない!」って。あそこが一番意志を感じる。

【ある】アニメで過去に1回、ばななをそれで救っているっていうのもありますし。

【よっ】最後に純那の意志を引き出せたことで、ななもそれを眩しいと思えた。

【いし】ななはずっと再演を繰り返しているから、舞台少女に対する固定観念で凝り固まって、諦念を抱いていたと思う。でも純那が変わって、自分の再演も終わったんだ、っていうケリをつけられた。だから純那が自分の言葉で言うっていうのは、ななにとっても変化の象徴なんですよね。

【レニ】そういう意味では、他のレヴューもそうだなって思う。劇場版のレヴューって、別れの物語なんですよね。別れが必要なのは、今までのある意味共依存的な二者関係を断ち切って、自立した一人の舞台少女として自分の人生という舞台に挑まなければならないから。今までの関係を後腐れなく断ち切って、自律した個人同士の関わりに移行するための場なのかなって見ていました。

 

――――――――

 

【いし】でも、真矢クロの「魂のレヴュー」だけちょっと違う気がする。これからもライバルとして競い合っていくという結末で終わっている。

【なび】クロディーヌ側はライバルと思ってたけど、真矢は特に何も思ってなかった、それを互いにライバルとして認めさせるためのものだったのかなと。

【いし】あのレヴュー、クロディーヌは動物将棋の時点で後腐れなさそうなんですよね。でもレヴューが始まる。では何が駄目だったかというと、真矢の側が「私は空っぽだ」って諦めていたことなのかなと。レヴュー前、真矢にとってクロは「演じるべき役をやっている」だけであって、だから自分もそれによってあてがわれた役を演じているに過ぎないと言う。そういう意味合いで一歩引いて見ていた。でもクロに「お前には中身があるんだ」と突き付けられる。

【なび】役から卒業したってことですね。「ライバル役」から「ライバル」になった。美しいって言ったのはライバルとして認めたからなんですね。

【いし】いや、自分の解釈は違って。あれは『ファウスト』なんですよ。

【なび】というと?

【いし】ゲーテの『ファウスト』では、悪魔メフィストフェレスファウストに対して、欲望を叶えてやる、もし叶えられたらファウストの魂を頂く、という賭けを始める。その決着のセリフが「時よ止まれ、お前は実に美しいから」。これをファウストが言ったら賭けは成立で、悪魔はファウストの魂を得られる。これって、魂のレヴューと似てるんですよね。魂のレヴューも、最初に悪魔が出てきて舞台人と賭けを始める、それを閉じるのが「西條クロディーヌ、お前は実に美しい」というセリフ。かくして悪魔は魂を獲得する。

【なび】だから最後にクロは「このレヴューは私の勝ちね」って言う、と。

【いし】そう。あの悪魔の賭けってのはそういう話だと思う。ファウストってのは努力する人の象徴で、真矢も努力してあの位置にいる。それに対して悪魔が囁きかける。ファウストメフィストフェレスの関係を、ライバル的なものに当て嵌めて魂の名前を冠しているのかな。で、最終的に終わったあとに「私たちのこの賭けのやり取りはここで終わったけど、明日も明後日も」って。それはレヴュー前のクロのセリフにも回収される。「私たちはまた満足のいくレヴューをした。でも次がある。次もまた満足のいくレヴューをしよう。」っていう話。この話を通して、真矢は自分に中身があることを知って、お互いが強いライバルとして結びつく。でもそう考えると、この話はキャラクターたちが自立していく話ではないから、さっきの話と少しズレる。

【なび】あの2人はもとから自立しているのではないかと考えていて。自我と自我がぶつかりあってつながっている、お互いが強烈な個性を持っている。それで自立と共存が同時に成り立つような関係なのかな。

【いし】なるほど。対比的に表すなら、華恋はひかりがいなければトップスタァになれないけど、真矢とクロは一人でもトップスタァになれると思っている。その2人がぶつかりあって切磋琢磨していく。華恋が依存してトップスタァになろうとしてるのに対して、この2人は相互に影響しあって、「私が」トップスタァになろうとしているから、始まりから自立している。

【なび】それこそアニメ10話で、関係性の対比されるもの同士でレヴューをしていたよね。終盤の舞台装置というか。

【いし】他の舞台少女は共依存的な関係から自立していくけれど、この2人は始めから自立をしている。自立をしたうえで、ぶつかりあうことの気持ちよさが出ている。なるほど……。

【なび】だからオチの付け方が他の2人組とは違う。

【いし】なんで私はレヴューはこういう風な順番なのかピンと来てなかったんですけど、これが最後なのには納得がきました。4つある話のうち、前3つが自立する話。その応用編として4番目、最後にこのレヴューが来る。構成として嵌っている気がします。

 

【だち】何か難しい話しすぎじゃないですか? 百合の話しましょうよ百合の話!

【レニ】東京タワーの跡地にキマシタワーを建てよう!

【なび】どのカップリングが好きかって話をすればいいんですか?

【だち】じゃあレヴュー順でカップリングについてコメントしていきましょう。

 

 

カップリング百合語り

怨みのレヴュー:双葉&香子

【だち】キャラを論じる時、よく男性的/女性的っていう見方がされると思うんです。でもあの二人は、見た目が女性的な香子の方が世話をさせる側の男性的な行動をしていて、逆に男性的な双葉が世話するという女性的なことをしてるんですね。それが、双葉が自立したいって言い出して関係がこじれるのは、男性中心社会において女性も社会進出したいと思うようになり始めたことの反映だと思うんですよ。

【レニ】そういう話なのか?

【だち】カップリング的には、そこの倒錯が面白いと思ったりするんですよね。

【いし】あー。日本舞踊の香子の方がこき使う側で、逆に甲斐甲斐しく世話する双葉の方は殺陣が上手い。

【ある】あの二人最後、清水の舞台から飛び降りるんじゃなくて、落ちるじゃないですか。あれは何だったのかなって。

【レニ】清水の舞台から飛び降りるのと同義じゃないんですかね……?

【なび】皆レヴューで何かしら死ぬような体験を経て「再生産」を達成してますよね。あの2人にとってはそれが清水の舞台から落ちることだったのかなと。

【いし】香子が諦めたように先走って辞めようとしていたの双葉が止めるシーンだから、アニメ本編のスケールアップ版でもありますよね。

【なび】最後にちょっといいですか。本当にしょうもないことなんですけど、レヴューの最後に鍵を預けるじゃないですか。左手の薬指に嵌めてるんですよね……。

【ある】あぁーーーーー。

【いし】いいっすねえ~~~。

【よっ】さすが12回見ただけある……。

 

競演のレヴュー:ひかり&まひる

【レニ】まひるちゃんは負けヒロインじゃないって本当ですか?

【なび】負けて……ませんよ?

【だち】そうなんですか?

【なび】勝利条件は結びつくことじゃなくて、一人の独立した舞台女優になることなんですよ。最初華恋に依存していたのは、目指す目標がなかったから華恋に憧れていたからなんですけど、自分自身に魅力があることをから華恋から伝えられたことで、自立した女優であることを自覚して、そこからどんどん成長していった。どちらかというと勝ちの部類じゃないかと。

【レニ】競演のレヴュー好きなんですよね、サイケな雰囲気で。映画館で見た時はポリゴンショック狙ってんなって思いました。

【いし】なぜあそこでオリンピックなのか、いまだにピンと来てないんですよね。

【ある】最後に金メダルをかけるシーンが印象的ですよね。あれは華恋の隣にいるのはひかりだっていうのを認めた描写なんですかね。

【なび】どちらかと言うと、まひるはアニメ本編が終わった時点で既に保護者ポジションになってるんですよ。最初はひかりに対して敵対心を持っていたけど。

【よっ】「あ~たしほんとは大嫌いだったアナタガアナタガアナタガアナタガ……

【なび】まひる自身も「演技」って言ってたんですけど、感情を演技とするにはモデルとなる感情が必要なんですよ。それはアニメ本編の最初の、ひかりが華恋の元に現れて仲良くしてる嫉妬心で、それをモデルにして競演のレビューの「嫌いだった」っていう感情に持ってきたのかと。

【レニ】メソッド演技……「アクタージュ」かな?

【なび】まひるは大場ななと同じようなポジションなんですよね。舞台版でまひるとなながレヴューする時に、ひかりについて言葉を交わす場面があったりするんですけど、その辺で「皆たるんでるよね」みたいな共通認識というか、ある意味共犯関係のようなものを指摘してる人もいました。そういう所の共通性というか、関係性に深く入り込まない部分はあるのかなと思いました。

【いし】だからひかりに対して「お前何で逃げたんや」って詰めて、ひかりが「怖かった」って言った時に、「私も眩しかった」って言って共感して、「よく言えました」みたいな感じてメダルをかけたんですね。

【ある】ここでのひかりと華恋の位置って、昔の華恋とひかりのと同じですよね。互いが互いのことを直視するのが怖かったっていう関係になってる。

【いし】このシーンの直後にひかりって線路に立つんですよね。怖かったっていうことを受け入れられることで、舞台少女として目覚めるんですよね。

 

狩りのレビュー:純那&なな

【ある】じゅんなな……深いな。

【いし】百合として見るのが難しいですよね。ななは全体のお母さんみたいな超然とした立場にいるし、役者と裏方両方にいる。

【なび】ただ「役」としては、ななは純那に執着する存在として描かれているんですよね。「舞台監督」の大場ななは執着してないんですけど、「私も役に戻ろう」と言った時に、自分の死体の首を純那の方に向けるのは、アニメ本編で純那に執着していたことを意味している。星見純那という人間は、舞台人としてはレベルは高くないけど、その志に惹きつけられている、そういった意味では百合と言えるのかなと。

【だち】この二人はそもそも一人で完結させようとするタイプですよね。純那も他の人と遊びに行かず一人で努力してたし、ななも一人で戦い抜かないといけなかった。

【なび】確かに、どちらも自己完結性が高い。

【だち】だけど、「相手も変わっていないし自分も変わっていないから、自分もこれで大丈夫なんだ」っていう、自分の鏡として相手を見ていたんだと思う。ななはずっと再演を続けていたわけですけど、その時に一番近くにいたのは常に純那で、彼女が変わっていないことが再演を続けていられる目安だったし、だからこそ純那の変化がななの変化の契機になるわけですよね。お互いの変化にすぐ気付くし、相手が変わったら自分も変わらないといけないと思う。そう考えると、百合は成立すると思う。

【レニ】ユリ、承認!

【なび】純那とななって、育ちが似てて。他のキャラって、小学生の時から演劇やって、実績があって、親も支援してるみたいな、いわゆるエリートなんですよ。でも二人は、舞台経験が中学までほとんど無くて、親もあまり協力的でないっていう。だから、アニメでも皆帰省してるのに、二人は親に支援されてなかったから、帰省せずにずっとふたりでいた。そういう点でも通じ合っていたのかな。

【いし】そうなると逆に、純那とななの違いが際立ちますね。ななは才能だけでトップに上り詰められてしまう存在だったし、純那は努力してもきらめきに手が届かなかった。

【よっ】ななって何であんなに強いんでしょう。

【なび】一説によれば、環境が揃った時に最強になるけど環境が揃わないと弱いっていう。天堂真矢は常に最強だけど、大場ななは強い動機がない場合は弱くて、強い動機が生まれると最強になる。

【だち】じゃあ「皆殺しのレヴュー」は?

【なび】再演の果てに、このままだと皆なあなあのまま死せる舞台少女になることが分かっていたので、救わなきゃいけないっていう思いですよね。1回喝を入れて、君たちはもう舞台の上にいるのだから、死に物狂いで次の役を掴みにいけと。最後、ななの台詞に対して、真矢はそれが舞台であることを自覚して台詞を返したから殺されなかったけど、純那は「なにいうとんねん」って舞台の自覚がなかったから、殺された。

【レニ】そういうの見てると、説教されてる気分になるんですよね。「お前らは既に舞台の上だからいつでもちゃんとしとけ、自覚が足りない」って言われると、お前大学院生なんだから論文ぐらいいつでも読んどけよって言われてるみたいで。

【なび】正月もう2日目ですが?ってね。

【ある】「舞台」の前に「社会人の~」とか「研究者の~」とかつけたら、もうそれなんだよな。

【レニ】あと他人の言葉で語る純那がボコボコにされる場面もさ。僕はギデンズが好きだからよくギデンズの言葉で百合を語るんだけど、本当に自分の言葉で百合を語るとか、自分の言葉で論文の立論をするのって難しいんだよね。ギデンズの言葉を引用したり先行研究を引用したりするんじゃなくて、本当にお前の言いたいことって何やねん、ってことを問いかけられるような気がするんですよね。

【なび】星見純那は先行研究を並べることしかできないからね。

【レニ】そう。「レヴュー論文」を書くだけ。大場ななはちゃんと自分を持ってるから新規性のある研究ができる。んで、お前もちゃんと自分のやりたいことを見つけろよ、って言ってくる。

【なび】怖っ。

【いし】「純那ちゃん、昔は目をキラキラさせながら『こういう研究がしたい!』って言ってたのに……」

【レニ】やめてくれーー!!

【だち】ああ、ダメージを受けてる人が……。

【よっ】探せばありそう、そういう二次創作。

【いし】『大学院生レヴュースタァライト』!?

【なび】「修論のレヴュー」や!

【レニ】やはり俺は神楽ひかりだった……?

 

魂のレヴュー:真矢&クロディーヌ

【だち】さっき沢山話した気がするけど。

【いし】自立した人間で、ライバル。でもはっきりと百合として気持ち良くなれるの、あそこなんだよね。

【レニ】告白しながら戦ってるもんね。

【いし】「私にはあなたを!」

【ある】ポジションゼロの時、額をお互いが貫いてたと思うんですけど、額って相手を舞台少女としているというフレームなんですよね。舞台に立ってるお前が一番かっこいいんだっていう、巨大感情の塊ですよね。

【よっ】「舞台に立ってるお前が一番可愛い」って、舞台でしか語れないけれど、でも舞台だけではいけないっていうのが、「空っぽじゃいけない」っていうことですよね。欲望も感情もあって、それをひっくるめて、舞台に立ってるお前が一番可愛いっていう。

【ある】「私はいつだって可愛い!」

【いし】あの二人だけ純粋に感情をぶつけ合ってる。

【なび】端的に言えば「あなたのこと好き!」「私も好き!」ってずっと言ってるだけだからね。

 

最後のセリフ:華恋&ひかり

【いし】あれだけ「レヴュー」じゃなくて「セリフ」なんですよね。そしてそのセリフっていうのが「私もひかりに負けたくない」。

【なび】自分、呼び名が変わるのがツボな人間なので、突然呼び捨てになって発狂しちゃいまいたね。

【いし】物語は華恋の過去の回想、レヴューによる人間関係の整理が並行して描かれていくけど、それがあの場面で合流するんですよね。華恋はひかりにずっと依存してきたけど、あそこで変わる。

【なび】あれば「愛城華恋『役』」から「愛城華恋『自身』」になったんだ、という解釈もあります。愛城華恋「役」の時の呼び名が「ひかりちゃん」だったのが、「役」を止めてむきだしの愛城華恋になるときの呼び名が「ひかり」になったんじゃないかっていう。

【いし】ひかりとキリンが話してる時、キリンが「愛城華恋は役作りをしています」って言ってますよね。愛城華恋「役」になったからひかりの前に出てきた、と思ったんですけど。

【なび】回想が「役作り」だったんじゃないですかね。自分の人生を辿って、「私ってこういう人間だったんだ」っていうのを回想してくことで、「私はひかりちゃんを舞台とした愛城華恋なんだ」っていう役作りをして、愛城華恋「役」の愛城華恋として舞台に立った。それが一回死んで、自分が「役」であることを自覚し、再び刺されることで「愛城華恋」に戻った。

【いし】「愛城華恋役」っていうのは、常に神楽ひかりありきでやっていた、ということですよね。ひかりと一緒に舞台に立つことが全てだった愛城華恋が、自分を見つめ直してそうした自己の在り方を自覚し、ジェット噴射によって手紙ごと過去を燃やして、真の「愛城華恋」になる。

【なび】自分の立つ舞台が「スタァライト」じゃなくなっても、舞台女優としてひかりに負けたくないという動機でこれからは舞台に立つんだという意気込みで、これからの人生を歩んでいく。だから最後、オーディションの面接の場面で映画が終わる。

【レニ】なんか就活の自己分析みたいな話ですね。

 

――――――――

 

【だち】あの二人のレヴューっていうのは、他のレヴューの総決算でもあると思うんですよ。「ひかりちゃんが約束覚えてなかったらどうしよう」っていうのは双葉と香子の話ですよね。「ひかりちゃんが眩しかった」っていうのはまひるの話だし、約束に固執し続けるのはじゅんななっぽい。ライバルは真矢クロ。華恋の過去と今までのレヴューがリンクしてるから、華恋は何もない主人公から一人の自立した人間になれた。

【なび】それは華恋が「役」から卒業することで、全員が「役」から解放されて一人の人間として、舞台女優として生きていくということでもありますよね。最後、全員が肩掛けを外したように。

【いし】肩掛けを外したのはオーディションへの未練から解放されたという意味でもあるのかな。

【なび】確かに、香子が一番初めに外してました。

【レニ】オーディションだけじゃなくて、「レヴュースタァライト」という物語からの解放ですよ。「舞台少女の死」って、アニメが完結して作成世界が静止してしまうことでもあると思ってるんですよ。それを、次の舞台へ進む物語を描くことで、彼女達が「レヴュースタァライト」という物語が終わっても、物語世界の中で生き続けられるようにする。そのための劇場版だったのかな。

【なび】監督は、「あれは愛城華恋が人間になるための物語だ」と言ってた。本編だと華恋って、勢いはあるけど掘り下げがないんですよ。だから、彼女は一人の人間だということを示すために、彼女の人生を辿りながら、最後に「役」から卒業させて、一人の人間として旅立たせる。

【だち】なるほど。アニメだと華恋だけ反応が「素」なので違和感があったんですけど、今の話聞いて納得しました。

【なび】あれも「役」だったとも考えられますよ。子供の頃から「役」として生きてきた、と解釈してる人もいました。運命のチケットを交換した時から性格が変わったじゃないですか。昔の華恋の性格は今のひかりみたいに引っ込み思案。逆に昔のひかりは今の華恋みたいに、自分から引っ張っていく。それが、運命のチケットを交換した事から、「役」を交換したんじゃないかと。

【ある】なるほど。髪飾りも交換してましたしね。

【なび】その時に人格という「役」を変えて、最後に「役」から解放されて戻った、みたいな。

【いし】「入れ替わってるー?」

 

――――――――

 

【だち】あの二人、百合的に見ると「弱い」んですよね。あの二人の百合要素って、「二人で舞台に立とう、運命だよ」みたいなこと言うところだけじゃないですか?

【なび】ブルーレイディスクの特典、他のキャラは皆距離が近いんですよ。でも、僕はかれひか推しなのに、何かそれぞれ構えてるだけで。くっついてないやんこいつら!別の一枚絵やん!みたいな。

【いし】「失望しました。かれひかのファンやめます。」

【なび】多分公式からしても、あんまりベタつかせる関係じゃないのかな。

【だち】最初あれほど百合っぽいのに。

【レニ】やっぱ共依存関係を卒業して自立した人間にならなあかんねんな……。そもそもこの作品って百合的に見るのが難しくないですか?今まで一緒だったのが分かれて、別個の個人として生きていく物語、でもちょっと連絡は取り合ってる、みたいな。そういうのって、一般的な百合作品にはあまりない気がする。

【だち】そうか?

【なび】そういえば、ひかりと大場ななが何故か同棲してるっていう二次創作ありますよね。

【レニ】あー!あれ好きなんですよね。

【だち】な、なにそれは。

【なび】劇場版では全く何も言及されてないのに、ただ同じロンドンにいるってだけで、何故か二人が同棲してて、ひかりが取っ散らかすのをななが助ける、っていう、集団幻覚が生まれてるんですよ。

【よっ】集団幻覚なんですか?わりと見るんですけど!?

【なび】全員同じ認識を共有してて、話が何故か通じちゃうんですよ。公式何もいってないのに。

【だち】でも「皆に会って来た?」って言ってたし、それくらいには近い関係なんじゃないですかね。

【よっ】「聖翔でも2人1部屋システムだったし、同じ場所にいたらそらルームシェアくらいするやろ!」みたいな。

【レニ】それだけで集団幻覚生み出すオタクの想像力、こわい。

 

 

血、トマト、キリン。

 

【レニ】キリンとかトマトが何なのかを考えたくて。アニメからですけど、この作品ってすごく「見る/見られる」関係に自覚的ですよね。劇場版ではその点に関連して、キリンとトマトが鍵になっていると思うんですよ。劇場版では、キリンが野菜として描かれるじゃないですか。

【なび】あれはアルチンボルドの作品のオマージュじゃないんですかね?

【レニ】そうなんですけど。トマトは血肉、舞台少女の成長の象徴であることと、野菜キリンが「私はあなた達の糧である」と言っていることが繋がりそうで。キリンはアニメの時から観客として描かれていましたけど、それが舞台少女の糧であるというのは要するに、舞台少女が可視的であること、客体化されることが舞台少女を強くする、っていうことで。

【なび】周りの認知があって舞台少女は初めて成り立つ、みたいな。

【レニ】で、キリンが野菜であることを考えると、トマトは「客体化されることが舞台少女の成長に繋がる」ということの象徴であり、舞台少女がトマトを齧るのは、そのことを受け入れたことの象徴なのかな、なんてことを考えています。

【いし】なるほど……。「皆殺しのレヴュー」の血は甘いらしいからトマトジュースだ、って前ブログで書いてたと思うんですけど、あれは観客の視線を浴びていることでもある、みたいな。

【よっ】トマトジュースという視線を浴びているから「お前は舞台の上なんだ」っていう。

【よっ】愛城華恋も、観客のまなざしを自覚して、初めてむきだしの愛城華恋になりますね。

【ある】そういえばトマトって、渇きを癒す果実ですよね。ずっと砂漠が描かれてましたし。

【レニ】確かに。

【なび】渇望の象徴でもありそうですね。皆トマトを齧って次の舞台を渇望した。華恋だけ齧らずに勝手に爆発した。

 

 

【だち】キリンの呼び出しは、要するに観客が呼んでるからということですよね。観客が望んだからこのように続きがあるんだ、っていう。

【レニ】観客というのはつまり我々視聴者で、我々が推しにお金を貢ぐから経済が回るんですね。つまりキリンが燃えたのは……?

【よっ】我々が推しにとっての燃料なんだから、そりゃ燃えるよね。

【いし】良い話だ。

【レニ】推しにお金を落として、舞台少女の人生が続いていく……。

【なび】WinWinじゃん。

【よっ】でも物語の続きを描くためにはレヴューくらいやんないとだよね、っていうことなんですかね。お前らが見たいって言うからこの子達はレヴューさせられるんだよ、お前たちのせいで、って。

【だち】自分たちが経済を回している限りこの子達は舞台から降りられないんだ……。

【よっ】お前らが望まなければアニメのままで終わってたんだけどね、みたいな。

 

 

BIG BANANA IS WATCHING YOU

 

【レニ】一番最後のオーディションの場面なんですけど、あそこだけ華恋を後ろから撮るっていう一人称的な視点になってて、キャプションで「本日、今、この時」って出てくる。視聴者である我々と画面の中の愛城華恋が重ねられてるんですよ。あそこだけ、視聴者と舞台少女の「見る/見られる」関係が変わっている。

【いし】あの場面、かなりグッときた。さっきも言ったように自分はこの作品を「未来への意志に満ちている作品」だと思ってるんですけど、それが「お前は未来に向けて頑張るために、今この場に立っているんだ!」ってダイレクトに伝わるのが、最後の「本日、今、この時」。

【なび】愛城華恋を通して、我々視聴者に対しても語りかけるメッセージなんですね。

【レニ】だから「お前らも過去を清算せんかい!」っていう。

【なび】厳しすぎる。変形する電車に乗せられてしまう。

【レニ】自分はやっぱり「お前、見てる側だと思ってるけど、お前らも舞台少女と変わらんのやで」ってことだと思っちゃうんですよね。舞台少女がつねにすでに舞台少女でいるように、お前らもいつも舞台少女のように生きろ、っていうメッセージ。

【いし】「私たちは舞台少女」って歌詞の「私たち」には我々も含まれていた……?

【レニ】せやで。「しゃんと背筋を伸ばして」生きていかなあかんねん。

【よっ】俺たちも舞台少女だったのか。

【レニ】でも普通に考えて、舞台少女のように生きるの、辛いと思うんですよね。「女の子の幸せを全て捨てて……」みたいな。あと、舞台少女として生きようとすればするほど、大卒正規雇用という安定したレールからは外れていくわけで。「好きなことして生きていく」ことが出来る人間は一握りなんですよ。大学院生もさ、修士から博士に進むと、社会的には逸脱していく。

【だち】個人的な怨念が……。

【レニ】そういうことを考えると、「お前らも舞台少女になれよ!」みたいなの、腹立ちません?人の人生だと思ってよォ……。多分、あの9人以外のクラスの20人くらいは、限界大学院生みたいな人生を送ってるよ。

【よっ】レヴューに巻き込まれなかった人たちの人生を考えてるんだったら見せて欲しいというのは確かにある。愛城華恋だって巻き込まれなければどうなってたか分からないし。

【レニ】「それでも自分を貫いて大学院に行こう!」って話ですよ、スタァライトは。

【なび】大場ななが出てきますよ。

【だち】なあなあで大学院に行くと、大場ななが出てくる。

【レニ】やばいよ!殺されちゃうよ!

【よっ】でもなあなあで就活を選んでも大場ななが出てくるのでは?

【レニ】逃れられない!?

【いし】いつもあなたの心に大場なな。

【なび】BIG BANANA IS WATCHING YOU….

【レニ】BIG BANANAに切腹を迫られながら生きていくか……。